さまざまなセクシュアリティーが認識されはじめている。
LGBTや指向という言葉をはじめて聞いたのは、10年ほど前だろうか。
私が好きになるのは男性だ。
恋愛も性的指向も男性、マジョリティーに属する。
まわりも同様。女性だから男性との出会いをもとめていて
そういう話は盛り上がる。
それは変わらないが、男性とめぐりあうのがよいという前提で
会話がすすむのに、最近は窮屈さも感じてもいる。
人は自分にはないものを持つ人に惹かれるという。
だから異性を求めるという話には納得がいくし
自分もそのように惹かれていたのに、なんなのかな、この違和感。
もしかして枯れた!?
なぜ違和感を覚えるのか、考えを巡らせていると
女の子として生まれて育まれてきた女性性と
仕事をしている中で自然と育っていた男性性が
今、自分の中で絶妙のバランスがとれている、と気が付いた。
ある種の完結、一致、ふたつの性がマリアージュしているので
自分の不足を埋めるための男性は求めていないとわかった。
これは感慨深い。
わたしは成長した環境、コンプレックスにより
女の子らしさを排除していた時期がある。
服装は徐々に普通になって、過激になって、普通に戻ったが
内面は複雑骨折したままでいた。人に甘えられないが
好きな男性は弱いところを分かってほしくて、期待がはんぱない。
だから、恋人はかならず負傷者になる。
そんなのが続くと愛情を育むことより、捨てる時の一瞬の快楽へと
興味が移っていく。
負傷者や屍を、背後に積み上げつつも、男性が示してくれる愛情が
痩せ細っていたわたしの女性性を、ふっくらと肉づけをしてくれたのは
まぎれもない事実。それは自覚していた。
やがて、男社会の職場でもまれ、男になったと母には嘆かれたが
茎が折れないように支え棒をあてるように、わたしの男性性は
肥大したわたしの女性性を抱え上げるほどたくましくなったらしい。←いまここ。
もしこれから誰かを好きになるとしたら
同じように両方の性を内在している人がいいなと思う。
ひとりの人間として、情愛をそのまま示せるようにはなりたいと願う。
これからってのがいまさらで痛いなあ。目標もめっちゃ低いぞ。
いやー、これが実力ですから。
めげずに今朝の夢。
見た。金髪と黒髪のふたりの顔がくっつくくらい
向かい合ってなにかしゃべっていた。
昨晩はお酒飲んだからな。夢でも酔うのかな?
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